ぞんざいな、不完全な仕事をする人は、自らぞんざいな不完全な性格を養いつつあるのだ。

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 ぞんざいな、不完全な仕事をする人は、 

 自らぞんざいな不完全な性格を養いつつあるのだ。  

その人は絶えず、ごまかしに馴染んでいる。


            ─ ヘンリー・ドラモンド 


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 『眠られぬ夜のために 第2部』7月21日の項で、ヒルティが、ヘンリー・ドラモンドの上の言葉を引用していました。 ヒルティはドラモンドの名前に「高潔な」という形容詞をつけて紹介しています。 

ずるをする人は、それで得したと思って、あるいはそう感じながら、あるいはオートマティックに、その行為をとっていくのでしょうが、それはその人が永遠にまとうことになる霊の体に永遠に残り、自分自身の命となっていくことになります。

それは、果たして得なことなのでしょうか‥。


 だから、丁寧な行い、人が見ていなくてもなされる誠実な振る舞いというものは、相手のためにとか、天から受ける報いのためにとかいうもの以前に、自分自身のために行っているのです。

この理解が習い性になると、

「自分がこんなにしているのに」

とか

「こんなにしてあげたのに」

という(普通によく聴く)不満や恨みのセリフが無くなっていきます。


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 人は愛を深めるために生きる。

 今日のできごとは これから手にする幸せのために。 

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ヒルティ喫茶:虹息

ヒルティに代表される敬虔派のことについて、語り合える友がほしいなぁ‥というのが、このサイトを始めた動機です。その時々の気付きや感銘を共有していければと想います‥[コメントにすぐに応答できないかもしれません。]