『私に啓示された福音』の〈9巻下〉が届きました。

待ちに待った『私に啓示された福音』の〈9巻下〉が届きました。

これで残すは10巻の上中下3分冊のみとなりました。

すでに明石書房のバルバロ訳で、完訳ではありませんが受難、復活まで読んでいますが、

いよいよ受難の場面が近づくとなるとドキドキです。

9巻のうちに受難に入るのかと思いきや、9巻下は最後の晩餐までで

受難は10巻の上に入るようです。


今回届いた9巻下に次巻10巻上の目次まで載せられています。

10巻上はその1巻で、ゲッセマネへ向かうところから、

捕縛、虐待、裁判、十字架の道行き、磔刑、師、埋葬、その夜までと

まるまる受難日1日分が収録されるようです。


バルバロ訳でも受難のビジョンを読んでる期間中、重苦しい日々を送りましたが、

アンナ・カタリナ・エンメリックのビジョンの方が暗く、悲惨だった印象があります。

映画『パッション』はこちらを映像化しています。


いま確認すると『私に啓示された福音』の1巻目は2002年のクリスマス12月25日に発行となっています。最初は751ページの分厚い1巻本だったんですね。第2巻に至っては804ページ!

最初の1,2巻は持つのも重たくて、これが10巻揃うんだと、ワクワクするような、読むときの苦労にげんなりするような本で、毎年1冊出版される予定で始まったのでした。


それが、訳者の吉向キエさんの訳出スピードが、みるみるダウンしていき─そりゃあ、大変です、この訳、イエス様の説教にしても、他の人との対話にしても、内容が難しい、理解するのに何度も読まないといけないところがあります(何度読んでもよくわからないところも‥)─、3巻目からは上中下巻の分冊となり、訳出できたところずつ、小分けに出版されるようになりました。途中、4巻上は、竹中彌生さんに代わり、ああ、吉向さん、年齢的に大変だったんだなぁって思っていたら、4巻中からはまた吉向さんが復活し、4巻下・5巻上と訳し切ったところで、

5巻中 殿村直子

5巻下 日下部恵子Guzzonat

と代わり、6巻上からは、ずっと殿村直子さんが訳されています。実に、この18年、4人の訳者が交代して仕事をつなぎ、今回の9巻の下にたどり着いたのでした。


吉向さんの訳は独特で、「地」のことを「地球」と訳したり、イエス様に母マリアのことを「マンマ」と呼ばせたり(イタリアの原語ではそうなのでしょう。)、これまでの人生で出会ったことのないような難しい日本語がやたら出てきたりと、難解な対話が余計にわかりにくくなって、いえ、考えないと読み進めなくなって、訳された日本語で、?、?、?とリズムを狂わされることが多かったですが、殿村さんになってずいぶんノーマルな文章となり読みやすくなりました。


この9巻下を読んだら、次はとうとう10巻、読み終わって届くまでに、また待ち遠しい待ち時間があるのでしょう。


いま長崎の街は金木犀のかおりでいっぱいです。

ヒルティ喫茶:虹息

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