Q.信仰してるものがないとイエス様や霊的なものはかんじられませんか?

そんなことはありません。 極限の無神論の祈りから、主や霊的なものを強烈に体験することもあります。 下のサンダー・シングの体験のように─  


彼が十四歳のとき、人生に転機が訪れた。最愛の母と兄が急逝したのである。二人の死は、彼に耐え難い悲しみと孤独を与えた。特に母は、彼が「世界でも最高の神学校」と後年うたったほどにかけがえのない存在だったため、彼の受けた苦悩は想像を絶するものであった。


死とは何なのか、来世とは何なのか、苦しみも悲しみもない永遠の幸せはどう見出しうるのかという、もっとも切実な問いが起こり、これを境に、彼の神への探求は本格的なものとなる。 毎夜遅くまで聖典を読み耽り、学者や僧のもとにも通って問い掛けたが、ヒンドゥー教の幻影説も、知識の道も何ら満足できる答を提供することができなかった。ヨーガを究めサマーディ(瞑想三昧)に入る術も修得したが、サマーディから出れば、元の心の不安な自分がいるだけであった。自分の求める心の平和は、どのような人からも、聖典からも、修行からも得られることはなかったのである。


ミッション・スクールに入学してから、キリスト教にふれる機会があったが、シク教徒独特の愛国心、国民感情が異教への迎合を許さず、宣教師に投石し、聖書を衆人の見守る中で引き裂き、焼き捨てるという暴挙に出た。だか、聖書を焼き捨てたことは、心を平和にするどころか、心の不安はますます激しさを増し、三日目に死をかけた決断をする。朝まで祈り続けて神から道が示されなければ、日の出前に鉄道自殺を遂げるという決意をしたのである。 


1904年12月18日の朝三時、彼は凍てつく寒さの中で水をかぶり、救いの道を示したまえと一心に神に祈った。まるで無神論者のごとき祈りであった。  


「ああ、神よ、もし本当にいるのなら、わたしに正しい道を示してください。

 わたしはサードゥーになりましょう。さもなくば、自殺します」。  


そして、心の内に呟いた。


「何も啓示がなければ、死ねばいい。あの世で神を見出せるだろう」  


こうして、朝の三時から間断無く祈り始めたが、応答が得られぬまま時がすぎ、四時半になった。 突如、室内が明るい光に照らされた。光はさらに強まり、浮かぶ光輪の中から、やがて神々しい人の形が現れた。仏陀かクリシュナ(ヒンドゥー教の重要な神格の一つ)かと思い、礼拝しようとしたそのとき、次のような言葉が―これはヒンドスタニ語で語られた―稲妻のように彼の心中に響き渡った。 


「おまえは、なぜ、わたしを迫害するのか。

 わたしが、おまえのために十字架上でこの命を捨てたことを思え」 


 彼の前に現れた神は、予想していたインドの神仏ではなく、三日前に焼き払った聖書の神、二千年前に死んだとばかり考えていたイエス・キリストだったのである。その体には、二千年前に受けた傷の跡がくっきりとみえた。顔は慈愛に満ち満ちていた。少年は、顕現したキリストの前に崩れ、これまで一度たりとも味わったことのない、真(まこと)の心の平和と歓喜を見出した。そして、この心の平和と歓喜は、二度と彼を離れることはなかった。 キリストは、このときより彼のグルー(霊的師)となり、祈りに答えて、直接彼に啓示をお与えになったからである。イエスはこうも言われた。 


「おまえは目が見えなかったが、今やわたしがおまえの目を開いた。

 行って、わたしを証せよ。おまえに起こったこの大いなる出来事を証言し、

 わたしがおまえの救い主であることを公に告白せよ」 


 この日を境に、サンダー・シングはクリスチャン・サードゥーとして宣教を開始することになった。


ヒルティ喫茶:虹息

ヒルティに代表される敬虔派のことについて、語り合える友がほしいなぁ‥というのが、このサイトを始めた動機です。その時々の気付きや感銘を共有していければと想います‥[コメントにすぐに応答できないかもしれません。]