己が wounds と向き合った分が相手の自己治癒力を引き出す力となる
よい変化が得られてよかったですね。
診察室に入ってこられてからと、帰る時とでは、
あなたをとりまいていたものが、まったく変化していたので、
いつも身近で接しているご家族がその変化を見て取ることができたのは自然なことだったと思います。
あの後はわたしも久しぶりに浴槽に粗塩を一袋入れ、塩を体にまぶして身体を流しました。
医師が自身は不養生をして咳をしながら、患者に風邪薬を処方するという治療は治療ではないと思うのです。 治療者と病者の間にエネルギーの授受のない治療は治療とは言えないと。
患者さんの苦しみを軽減して差し上げるからには、治療者はそれなりのものを引き受け、 その引き受けたものは自分の側で処理して、また次の治療に備えるのが当然ですし、それが医術だと感じるのです。
「 わたしは wounded healer です」といいましたが、 治療者として来談者の前に立つまでの間に 、 自身の wounds と向き合って修練し達成した「自己一致」の程度が、 診察室での一期一会で、来談者の自己治癒力を引き出すように働きかける力となるのだと思っています。
来談者の問題と向き合うことは、また、死ぬまで成長し続ける治療者自身の修練とも合い重なって、 治療者もまた自身の成長を引き出される営みとなります。
岩井寛先生の『森田療法』(講談社学術新書)は読まれましたか?
敬愛してやまない岩井先生が、診療の中で患者さんからたくさんのものを受け、 そのうえ、お給料まで頂けるというのは、申し訳なく思うことがあると述べられていましたが、 私もほんとうに、そう思うのです。
それでは、どうぞ、お元気で。
P.S. 霊の落とし方(挙げ方というべきかも)については
https://ameblo.jp/nijipsych/entry-12042614423.html
に書いています。
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