私は、ここで、祈らなければ生きてゆけないという体験をしました。

『祈りの人 リーズ・ハウェルズ』の古書を探していて、「祈りの人」との検索ワードから『祈りの人 クサヴェラ レーメ』という古書を見つけて、『大祷告者 リーズ・ハウェルズ』(『祈りの人 リーズ・ハウェルズ』は同書の新翻訳本でした)と共に注文しました。


『祈りの人 クサヴェラ レーメ』は旭川にある藤学園高等学校を創設したシスター・クサヴェラを偲んで編まれた小さな小さな手記でした。今日は、生前のシスター・クサヴェラと共に藤学園の創設にかかわった多田春代シスターが寄せた一文からです。


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旭川の3月はまだまだ春にはほど遠いのです。

寒くて眠れない夜もありました。

掛け布団の上に雪が吹き込み、襟布は吐く息で湿って凍ります。

寝室にストーブを焚く──そんな贅沢はできません。

台所にもなり、食堂にもなり、仕事部屋にも早変わりするたった一つの部屋にしかストーブに火を入れられませんでした。夜や住むとき、このストーブの残り火をシスター・クサヴェラの寝室に移して差し上げるしかできなかったのです。。

食べ物もぎりぎりまで切り詰めたものでした。

開校当時はそれほど貧しかったのです。


しかし、そんなことよりも、もっともっとシスター・クサヴェラにとって辛かったのは、全生命の支えである御ミサに与ることができないことでした。それで、私たちは毎日教会に通うことになったのです。朝4時半に起きて、5時出発、40分歩いて、御ミサに与るために大町の教会に通うのです。

まだ暗い朝の雪道を白い息を吐きながら通いました。教会のお祈り台にひざまずいた時、疲れと空腹と寒さで、貧血を起こして倒れたことも何度かありました。

あの時はまだ私は若かった、でもシスター・クサヴェラは60を3つも過ぎていらっしゃったのです。あの当時、どんなにつらい忍耐の連続であったでしょうと今私がその年齢になってみて、やっとお察しすることができるとは─遅かった!!と本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでございます。


校舎であれ、寄宿舎であれ、私どもの部屋であれ、風雪が容赦なく吹き込む、雨が降ればバケツやタライの行列ができるなどは毎度のことでした。

しかし、こんな生活の中で、私は本当に貴い宝を得たと思って感謝しております。

私は、ここで、祈らなければ働けないという体験をしました。

祈りなしには生きてゆかれなかった─それは私にとって貴重な体験でした。

耐えることが不幸にならないように、辛いことが不満にならないように祈りが必要だったのです。

そして、私は主の深い愛を知りました。


ヒルティ喫茶:虹息

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