『聖書の脈をつかもう』4日目 このテキスト使うの止めるかもしれません・・

スエデンボルグによる啓示が与えられたならば、聖書についてのさまざまな矛盾、疑問が跡形もなく消えてしまいます。4日目の文章を読んでいて、もうこのテキスト使うのやめた方がよいのかなと、正直なところ、思ってしまいました。スエデンボルグからの修正補足だらけになるからです。

スエデンボルグを知らないまま、聖書について、プロテスタント牧師の解説に触れると、さまざまな矛盾で、正しく真理を探求している人ほど、その解説に疑念を、もし、それが聖書そのものの真のメッセージだとしたら、聖書に対する忌避感を持つようになるのではないかと心配します。


4日目の文章でも「洪水の裁き」は全部飛ばしてよいです。

「バベルの塔」の内容もいくつか‥、たとえば、み使いが堕落してサタンになったのではありません。聖書に書いてません。だれが言い出したのか、「ああ、お前は天から落ちた、 明けの明星、暁の子よ。 お前は地に投げ落とされた、 諸国を打倒した者よ。お前は心の中で言った、 『わたしは天まで昇り、 神の星々の遥か上に王座を構え、 神々の集う山、ツァフォンのふところに着座しよう。 雲の頂に上り、 いと高き者のようになろう』。しかし、お前は陰府に、穴の底 に落とされている。」(イザヤ書14:12~15)の箇所から、天使が堕落してサタンになったという伝承が現れ、なんとキリスト教会でもそれを受け入れている教派があります。

悪魔も天使も人間の死後の姿です。悪意に生き続けて人を傷つけることに喜びを感じるように自身の愛を変えてしまって人生を終えた人が悪魔で、善を求めて、生涯、自身の肉性、悪意に抵抗し、こうありたくないと天に求め続けて人生を終えた人が天使となり、死後、類友で、同じ波長の人たちがそれぞれの社会を作ってできた世界が、天界であり、また地獄です。


神は人を裁きません、愛は裁かず、は永遠の神の御性質です。神は人を地獄に追いやりません。人間が、神の聖いスフィアに耐え切れず、それを避け、遠ざかり、常にそそぐ善導の光を避けて、それぞれの悪の性質に従って、似た者たちで引き寄せ合ってできた社会の集合が世界が地獄です。


タバコを吸ったら肺に悪いよと諭されても、それを続けて咳が止まらなくなったり、肺がんになるのは、神がその人の悪行を裁いたのではありません。その人が、自分自身に備えられた仕組みに反した生き方をして、自分自身の体を痛めつけ、その果てにその病が、不自由が、苦しみがもたらされたのです。


イスラエルだけが神に特別に扱われたわけではありません。イスラエル人という頑なな部族の歴史を通すことで、表象的に天界の秘義が人類に、宇宙に表すことができたので、この部族の歴史を用いたのです。どんなに堕落した民であっても、その部族を女も子供も皆殺しにせよ、との命令は神そのものからはでません。太陽は、いつも太陽なのです。そこからは、常に熱と光しか発出しないのです。


旧約聖書を字義どおりに読んだら、だれがそんな神を自分の人生を導く主、自分が目指すべき目標の精神として受け取ることができるでしょう。自分の好みで人を扱い、自分の意にそわない者、部族については凄惨な応酬を行使し切ることができる、そんな神、怖すぎます、残虐すぎます。血も涙もない。マフィアの親分が、身内にだけは時折やさしさを見せることがあるけれども、敵対する相手や自分に都合の悪い者、また、身内でも自分の意に反した行動をとった者には容赦しない、聖書の字面通りの神はそんな神です。


そんな神、神じゃありません。

スエデンボルグの『天界の秘義』を少しずつでも読んでいきましょうね。1日、1,2ページずつ読み進めても、10年かからずに読めます。

ヒルティ喫茶:虹息

ヒルティに代表される敬虔派のことについて、語り合える友がほしいなぁ‥というのが、このサイトを始めた動機です。その時々の気付きや感銘を共有していければと想います‥[コメントにすぐに応答できないかもしれません。]