『聖書の脈をつかもう』5日目 神は裁きません、呪いません

聖書を読むと、神が、罪に向かっていった人々を裁き、懲らしめ、呪われ、また妬むと書かれています。しかし、愛は裁かず、愛なる神は裁きません。

聖書は外観で書かれているのです。

聖書には、太陽が昇ったと書かれています。私たちも、日が昇ると言います。ほぼすべての人は、太陽が昇ったのではなく、地球が太陽の周りを回転しながら動いていることを知っています。これらのとき、聖書の文章も私たちも外観を言葉にしているのです。

罪を犯すと、心は晴れず、気は病み、この生活を繰り返すとき、私たちの心と体と日々引き連れている現象は不健全なものになっていきます。これは人類に与えられたかく生くべしとの戒めに反したため、神からその人が裁かれたように私たち人間の目には映ります。しかし、実相は、人が自分の遺伝子に合わないことをして、人が勝手に自ら、不健康を自らの心と体と事象にもたらしているのです。

神は誰一人として地獄に追いやりません。悪に生きて、神の真理の光と愛の熱に堪えきれない人たちが、愛と光の根源となっている天界の太陽を避け、自ら、闇と冷えの世界に自分自身の居やすい場所を求めて遠ざかっていくのです。






ヒルティ喫茶:虹息

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