生活の中で「キリストに倣う」

6月8日 もっぱら日常生活に対するわれらの主の言葉 


マタイによる福音書18:6~7,10

わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。つまずきを与えるこの世は忌まわしいものであす。つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者は忌まわしいものです。‥

あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないいように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。


マタイによる福音書12:36

わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだな言葉について、さばきの日には言い開きをしなければなりません。


マタイによる福音書25:40

すると、王は彼らに答えて言います、「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」


マタイによる福音書17:27 

しかし、彼らにつまずきを与えないために、湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとスタテル1枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。


ルカによる福音書6:45 

良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。 


ルカによる福音書9:54~56 

弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。

「主よ、私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」 

しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。そして一行は別の村に行った。 


ルカによる福音書10:5 

どんな家にはいっても、まず、

『この家に平安があるように。』

と言いなさい。 


ルカによる福音書12:15,29 

そして人々に言われた。

「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」

 ‥何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。 


ルカによる福音書14:13 

祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい人、不具の人、足なえ、盲人たちを招きなさい。 


ルカによる福音書16:9~10

そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。 


ルカによる福音書17:3

気をつけていなさい。

もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。

そして悔い改めれば、赦しなさい。 



これらは、もっぱら日常生活に対するわれらの主の言葉である。

われわれは毎日これに従ったり、従わなかったりして暮しているが、これらはわれわれ自身の幸福、われわれの家族やわれわれと交わるすべての人びとの幸福に深くかかわりを持つ言葉である。

神の国に属するある人との偶然の出会いによって、はからずも神の国に入れられたり、さもなければ入れられなかったりする人が少なくない。

現代のイギリスのある女流文筆家は、これについてつぎのように言っている。  

「あらゆる出会い、

 あらゆる別れ、

 あらゆる挨拶の機会、

 あらゆる約束の会合、

これらはわれわれにとって開かれた機会であり、それをどう利用するかはわれわれの責任である。

われわれの子供、召使、友人、知人たち――それぞれの人に対して、われわれは毎日、かつ一日じゅう、感化を、つまりこの世の最もよいものか悪いものかを分配しているのである。」 


ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫  

ヒルティ喫茶:虹息

ヒルティに代表される敬虔派のことについて、語り合える友がほしいなぁ‥というのが、このサイトを始めた動機です。その時々の気付きや感銘を共有していければと想います‥[コメントにすぐに応答できないかもしれません。]