礼拝の時のはじめの祈りを教えてもらいたいのですが。
主の祈り、あるいは主祷文といいます。
マタイ福音書の6章5~13節にあります。
讃美歌では564番の歌詞が文語訳の主の祈りになっています。
新聖歌では最期の方に、「使徒信条」と共に載せられています。
http://sanbika.la.coocan.jp/z.shuno-inori.html
バプテスマのヨハネがその弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてくださいと弟子たちから求められ、それに応えて、イエスさまが次のように語られ、最後に、現在、主の祈りと呼ばれて、2000年間、全世界の教会で毎日、祈り続けられているこの祈りが伝えられました。
マタイの福音書6章5節から
「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。
彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。
まことに、あなた方に告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。
そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いて下さいます。
また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数 が多ければ聞かれると思っているのです。
だから、彼らのまねをしてはいけません。あなた方の父なる神は、あなた方がお願いする先に、 あなた方に必要なものを知っておられるからです。
だから、こう祈りなさい。──」
との祈りについての話の後に、以下の主の祈りが伝えられます。
主の祈り
天にまします 我らの父よ
願わくば 御名(みな)をあがめさせたまえ
御国(みくに)を来たらせたまえ
御心(みこころ)の天になるごとく 地にもなさせたまえ
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を 今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を 我らが赦(ゆる)すごとく
我らの罪をも 赦したまえ
我らを試みにあわせず 悪より救い(い)だしたまえ
国と力と栄とは 限りなく 汝のものなればなり
アーメン
細かなことですが、8行目の「悪より救い出(だ)し給え」は、新聖歌では「救い出(い)だし給え」となっています。 礼拝では、文語訳聖書、讃美歌に合わせて、「救いだしたまえ」と唱えています。
スエデンボルグは、地上で私たちがみ言葉の書を読むとき、天界の天使たちもみ言葉を読み、その流入が私たちにあること、そして、天の流入をもたらす最高のものが「主の祈り」であると伝えています。
私のクリスチャンの患者さんも、私がそのことを教えたのではないのですが、脅かす思いに苛まされるとき、「イエスさま助けてください」と射祷するよりも、「主の祈り」を唱えた方が効果があると言って、今は、そのような苦しみが襲ってきたときには、「主の祈り」で対処されています。
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