ときには、敵の方が正しいこともある。
2017/01/23 に公開
こんにちは、カタリナです。 ご覧いただき、ありがとうございます。
わたしは1973年生まれ東京在住の主婦です。
このチャンネルに動画をアップした最初の頃は、外郎売を練習することによって顔たるみを改善したり、吃音や早口を治したいなと思っていました。視覚障害者の方むけのボランティアを志したこともありました。 が、いまでは統合失調感情障害のリハビリと、生活能力の低下を防ぐために、できるだけ落ち着いて本を朗読することだけに集中しています。
この病気は、日常のあたりまえのことができなくなってしまったり、ろれつが回らなくなったり、妄想がでたりします。 主治医は、今後さらに能力低下をきたす可能性が高く就労不能であり、障害等級は回復することはないであろうという見解です。
しかしわたしは精神病でも障害者でも幸せに生きることはできる、と考えています。 だれでも、何歳でも、どんな状況でも。 「なんかのたまご」です。わたしもそうです。 いつだって、いま、なのです。 そう思っています。
朗読に関してはお聞き苦しいところも多々あると思いますが、気長に続けていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
また、このチャンネルの広告による収益は、プランインターナショナルジャパンに寄付しております。 リクエストなどもお待ちしております。
噛み噛みですが、頑張って読みます!
8月22日
ときには、敵の方が正しいこともある。
というのは、人間のこころは生まれつきはなはだ利己的であって、どんな論難攻撃をもすべて自分にたいする侮辱だと感じるからである。
そういう敵の言い分についても、すべての復讐を神にゆだねる習慣をつけると、ずっと公平無私な気持で検討できるようになる。
これに反して、ある人に反対することが義務である場合は、そのあと相手に憎悪の念が固まることのないように、もっと近い機会に、その人に親愛を示すようにこころがくべきであろう。なるべく早く親しい言葉をかけるだけでも十分なことが、よくあるものだ。
ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫
私たちは、自然には、自分が(一番)正しいと思っているんですよね。人を非難したり、人の陰口を言える時は間違いなくそうです。
そして、私たちはみな自分が(一番)かわいいんですよね。自分なんかどうなってもいいという人も、自分を特別視してるという意味で、自分がやっぱり特別なんですよね。自分が大嫌いという人も、「自分だから」こそですよね。
この
自分が一番正しい
と
自分が一番かわいい
をいつも眼前においてこれが退けられることを気付く度に祈り続けることが祈りの大きな課題です。
己が命を愛する者はこれを失い、己が命を憎む者はこれを得る。
自分を否定しない者はわたしの弟子になることはできない。
どんなに耳触りの良いことをいって人々にキリスト教を広めようとしてもーそう、イエスの御言葉は、現代多くの人に受け入れられ歓迎されているスピリチュアリズムの提唱する方向とは逆行しますどんなに甘いあんこでまぶしても中身はもち米ではなく、アロエのような苦菜なのですー、キリストの教えの要諦はここにあるのですから、この門を通らずに、主イエスの下さる真の平安は得られません。
「退け、サタン」「退け、サタン」と言って振り切り、振り切り、手を引いてくださいと求めながらにじり寄っていく日々です。
けふもまた こころの鉦(かね)を 打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれて行く 若山牧水
1日遅れで、カタリナさんがリハビリのためにとされている朗読を見つけ、カタリナさんの自己紹介と、朗読の『眠られぬ夜のために』第二部の8月22日の文章を載せようと思いついて書き始めたのですが、後半の文章はまったく違った展開になってしまいました‥
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