鎖につながれていても、善良で正直であった人は、命が終わるとき、悲しみも終わります。
「‥鎖につながれていても、善良で正直であった人は、命が終わるとき、悲しみも終わります。
そして、悲しみが終わるとき、金持ちと貧乏人の区別も、自由民と奴隷の区別も終わります。
後には、万人にとって、ただ一方(ひとから)の神がおられるだけです。神は富も鎖も考慮なさらず、善に報い、悪を罰します。そのことをよく覚えておくように。」
『私に啓示された福音 6巻下』426.6
今の日本の社会には一応、奴隷は居ませんが、虐待された子供たち、そしてその子供時代に縛られてその後の年月を送っている人たちがいます。先日の発表では虐待の件数が12万人に達したと報道されていました。ということは、実際にはその何倍もの被虐待児童が、日本でも、いまこの時も、その過酷な日々を送っているということです。彼ら、そしてその虐待された年月を経て大人まで生き延びた彼らも、生涯、その枷を負いながら生きていきます。それは故なく与えられた奴隷の人生のようです。2000年前のユダヤでの場面で語られた主のことばを読んでいて、虐待された人たち、虐待されている人たちのことを思わせられました。
主は仰いました。
「鎖につながれていても、善良で正直であった人は、命が終わるとき、悲しみも終わります。
そして、悲しみが終わるとき、金持ちと貧乏人の区別も、自由民と奴隷の区別も終わります。」
と。
「後には、万人にとって、ただ一方(ひとから)の神がおられるだけです。神は富も鎖も考慮なさらず、善に報い、悪を罰します。」
と。そして、
「そのことをよく覚えておくように。」
と。
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