ほう、そうか この子にも父があったか
‥大変だった、人生にこんなことがあっていいのかということがあった──と告白されたのは、それはとても辛い事件でした。男泣きに泣くその友人に私はしばらく何を言っていいのかわからず、そのむせび泣きを聴くだけでした。
思い見よ、思い見よ、主の受けましし辛き仕打ち
世の中にありうるや、ありうるや‥
見よ。彼に下されたような苦しみが この世にまたあるかどうかを思い見よ。
(エレミア哀歌 1:12)
そして、
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。
マタイ福音書5:11~12
の言葉を伝えるのが精一杯でした‥
別れ際に、手元にあった孟子の「告子章」を渡しました。
天の将(まさ)に大任を是(こ)の人に降(くだ)さんとするや
必ず先(ま)ずその心志を苦しめ、その筋骨を労(ろう)せしめ、
その体膚(たいふ)を餓えしめ、その身を空乏せしめ、
行(おこな)ひその為さんとするところを払乱(ふつらん)せしむ。
心を動かし、性を忍ばせ、 その能(よ)くせざる所を
曾益(ぞうえき)せしむる所以なり。
(天が重大な任務をある人に与えようとする時には、
必ずまずその人の精神を苦しめ、
その筋骨を疲れさせ、その肉体を飢え苦しませ、
その行動を失敗ばかりさせ、
そのしようとする意図と食い違うようにさせるものだ。
これは天がその人の心を発憤させ、性格を辛抱強くさせ、
こうしていままでにできなかったこともできるようにするためである)
友と別れた後、高校生の頃に知った白隠禅師の逸話を思い出しました。
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江戸時代の名僧白隠に、次のようなエピソードがあります。
白隠禅師が沼津の松蔭寺に住んでいたころ、白隠禅師はたいそう人々の尊敬を集め、大勢の人が彼の話を聞きに集まってきていました。
ところが、白隠寺の隣にすむ檀家の十代の娘が妊娠するという事件が起きました。 怒り狂った父親から、「だれの子か!」と厳しく問いつめられ、答えに困った娘は、日ごろから父が白隠を崇拝していることを思い出して、 「白隠さんの子どもです」 と言ってしまいました。
父親は、激怒して白隠のもとに怒鳴りこみ、 「娘が白状した、お前が父親だそうだな!」 となじりました。白隠は、 「ほう、そうか?」 と答えただけでした。
噂は町じゅうどころか、近隣に広がってゆき、禅師のかつての評判は瞬く間に地に堕ち、大勢の人が詰めかけていた白隠禅師の説法にも、誰も来なくなりました。
月満ちて赤ん坊が生まれると、娘の両親は赤ん坊を抱いて禅師のもとに連れてきて、 「人の娘に子どもを生ませるとは、お前はとんでもない坊主だ! さあ、この子を引き取れ!お前が父親だから、お前が面倒をみるがいい」 と白隠に子どもを押し付けて帰っていきました。
白隠禅師は、赤ん坊を慈しみ、人々に毎日ののしられながら、もらい乳に歩いたりして赤ん坊を育てました。
一年が経ったある雪の日、いつものように赤ん坊を抱いて托鉢に歩く白隠の後ろ姿を見た娘は、ついに慚愧の思いに耐えきれなくなり、ワッと泣き出して、父親に本当のことを打ち明けました。実は、赤ん坊の父親は、近所で働く若者だと。
びっくりした父は、あわてて白隠のもとへ駆けつけ、「本当にすまないことをしました。赤ん坊は、引き取らせてもらいます。今日、娘が、父親はあなたではないと白状しました。」と平謝りに謝りました。白隠は、 「ほう、そうか この子にも父があったか」 と言って赤ん坊を返しただけで、娘や父を非難する言葉はついぞ聞かれなかったということです。
直木公彦著『白隠禅師』(日本教文社刊)
そして、家に帰って、また内村鑑三先生の『一日一生』の1月17日を読みました。
「ああ、わたしは災いだ。わが母よ、どうしてわたしを産んだのか。
国中でわたしは争いの絶えぬ男、いさかいの絶えぬ男とされている。わたしはだれの債権者になったことも、だれの債務者になったこともないのに、だれもがわたしを呪う。 主よ、わたしは敵対する者のためにも、幸いを願い、彼らに災いや苦しみの襲うとき、あなたに執り成しをしたではありませんか」
(エレミヤ書19:10,11)
私はかつてエレミヤと共に嘆いて言った、 「ああ、私は禍(わざわ)いである、人は皆私と争い、私を攻め、皆私を呪う」 と。 けれども、今になって私は感謝して言う、 「ああ、私は福(さいわ)いである。人は皆私と争い、私を攻め、私を呪ったので、私は主に結ばれてその救済に預かることができた」 と。
人に捨てられるのは主に拾われることであった。
人に憎まれるのは主に愛されることであった。
人に絶たれるのは主に結ばれることであった。
今に至って思う、 私の生涯にあったことで最も幸福であったことは、 世に侮られ、嫌われ、辱められ、斥(しりぞ)けられたことであったということを。
内村鑑三 『一日一生』 1月17日
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かつて、私も毎日毎夜、光の射さない真っ暗なトンネルの中で、エレミヤやヨブとともに、自分の生まれた日を呪い、自分の生まれたことを呪っていた日々があったなぁと思い出します‥
友の慮り知ることのできない苦痛が、どうか癒されますように。ただ一人、慰めることのできる御慰め主が、彼の心の深い傷を包んでくださいますように‥
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