ブルームハルトの胸に沸き起こった 霊の“憤り”

 ■浄霊について 

浄霊について、友人から紹介されたホログラフィートークの光の柱技法、昔たまたま本で知った悟霊の法以外、それらしいセラピーの体をなすものを知らなかったのですが、Spirit Releasement Therapyという、もろそのものを取り扱う療法があると友人から教えてもらいました。 

■ブルームハルト;メットリンゲンでの出来事

 170年ほど前のドイツにブルームハルトという牧師がいました。

その牧師の住むメットリンゲンの村にゴットリービンという悪霊憑きで毎日苛まされ続けている女性がいて、そのポルターガイスト現象はどんどん激しくなり、その村の牧師、ブルームハルトがその家に呼ばれます。

ブルームハルトはなすすべもなく、ただおろおろするしかなかったのですが、何度目かの訪問の折、あまりもの惨状に、すぐそばにいた村人が

「この村にはたった一人の牧師もいないのか」

とぽろりと口にした言葉を耳にして、激しい霊の“憤り”を感じます。この憤りは無力な自分をバカにされたというような個人の下衆な腹立ちとは異なっており、この体験により、ヨハネ福音書11章に出てくるイエスが「憤った」との一見奇異に受け取れる言葉が理解できたとブルームハルトはのちに回想しています。その福音書の記事を少し引用します。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

 家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、

「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」

と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。

「どこに葬ったのか。」

彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。 

しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。 

人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。 

ヨハネ福音書11:31-44

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 


 目の前で体をそらせて口から泡を吹きながら悪霊に苦しめられている若き女性を前にして、その村人の言葉が耳に入った刹那に内に起こった“憤り”に突き動かされて、気付くとブルームハルトはその女性のそばに駆け寄って、

「イエスさま助けてくださいと言いなさい!」

と叫んでいました。なんどもなんどもそう叫ぶうちに、ゴットリービンという女性のその激しい身体の動きと苦悶が和らぎ、治まっていきました。こういう悪霊の苛ましと祈りを繰り返していく内についにある日、

「イエスは勝利者だ!」

という村の空全体に響き渡る悪霊の絶叫と共に、その悪霊憑きがまったく治ってしまいます。その日を境にして、伝道も宣伝もしていないのに、村中の人々が心に悔い改めを迫られて、ブルームハルトの教会の下に集まってくるようになり、メットリンゲンに一大リバイバルが起こります。 


高校生の時、『神の国の証人 ブルームハルト父子』という本を読んで以来、ブルームハルトの胸に起こった主イエスさまと同じ憤り、そして、そこから引き起こされた大いなる救いの業に心惹かれていました。久しぶりにブルームハルトの憤りと墓に葬られたラザロを前にしたイエスの憤りの記事を思い出していました。


■そんな今日、学会誌が届きました‥

そんな今日という日、精神神経学会の学会誌が来たのですが、そこに大宮司信*埼玉医科大名誉教授の「現代における宗教と精神医学―救済と治療―」という去年の横浜幕張メッセで開かれた学会の教育講演から、文字お越しした論文が載っていました。わたしは、その教育講演には出なかったのですが、内容はなんとブルームハルトのメットリンゲンでの悪霊払いの話がメインに展開されていました(出てればよかった‥)。 

 *著書『宗教と臨床精神医学』 『憑依の精神病理』


 「一般に病気は人間の危機であるが、同時に生への新しい視座をもたらす契機にもなりうる。こうした病や癒しの持つ人生の画期ともいえるような特質はまた、宗教の世界へとつながっているように著者には感じられる。しかし、精神科医は明日も元気に過ごす健康をつくり出す小さな助けの役割を果たすのであって、生きる目的や生きがいを提供する存在ではない。」 


 というのが大宮司信先生の論文の結語です。 

 でも、大宮司先生が優等生然として控えめにまとめて濁した答えではなく、「明日も元気に過ごす健康を作り出す小さな助けの役割」はもちろん、その先にある「生きる目的や生きがい」をその人が見出すようにという宗教の世界にもつながる真の救済をもたらせるー真の救済などとかくと、真理は人それぞれだと口々に攻撃されそうですがーセラピーが、どこかにあるのではないだろうか‥

ヒルティ喫茶:虹息

ヒルティに代表される敬虔派のことについて、語り合える友がほしいなぁ‥というのが、このサイトを始めた動機です。その時々の気付きや感銘を共有していければと想います‥[コメントにすぐに応答できないかもしれません。]