波に打たれ続けても、じっとその場に腰を据え、波しぶきの激しさをなだめる断崖のようにありなさい。

今月の致知に、池田雅之さんが、ご自身の座右の書、『自省録』を記したマルクス・アウレリウスについて書かれていました。以下は、その文章の中で、氏が、挙げておられたマルクス・アウレリウスの言葉です。


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 未来というものは、来るべきときに訪れてくるものだから、未来を憂うのは止めなさい。 

今現在に真向かっているのと同じ気持ちで、未来に対処すればよいのだ。 

人格を完成させるには、一日一日をあたかもその日が最期のひであるかのように、激しく感情を高ぶらせることなく、かといって無感情でもなく、誠実に過ごすことである。


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人間は正しくあってこそ、幸せになれる。 

正しくあるとは、同胞である人間に対して親切であること。 

感覚がもたらす衝動を超越すること。 

目に映る世界に対して、正しい判断をくだすこと。 

そして、宇宙の本質、およびその偉大に営み学ぶこと。


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宇宙全体をみてみなさい。 そのなかのほんの一部が、君なのだ。 

悠久のときの流れを考えてみなさい。 そのなかのほんの短い時間が、君に与えられているにすぎないのだ。 

さらに、運命に定められたすべてのことを考えてみなさい。 そのなかで、君の果たす役割のなんと小さいことか。 


 心の中を掘り続けよ。 

心の中をよく見つめよ。 

そして、自分自身を知れ。


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波に打たれ続けても、じっとその場に腰を据え、波しぶきの激しさをなだめる断崖のようにありなさい。 

「こんな目にあうとは、なんて私は不幸なんだ」 

いや、代わりにこう考えているのだ。 

「このようなことが我が身にふりかかっても、私は満足している。  

 現実に押しつぶされることもなければ、未来を恐れることもなく、心を痛めないですんでいる」

と。 

今後、腹立だたしいことが起こったときにはいつでも、この言葉を肝に銘じよ。 

「勇敢にもそれに耐えられることは、不運ではなく、幸運であると」。 

自分の身に起こることのみを、運命の糸が運んでくるもののみを愛しなさい。 それ以上に、君にふさわしいことがあるだろうか。


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越えられない試練は決して与えられません。決して。 どんなにつらいことも、すべて明日の幸せにつながっています。 運命の女神さまは意地悪な暴君ではなく、愛情深く私たちの魂の成長を導く真の親だからです。  

ヒルティ喫茶:虹息

ヒルティに代表される敬虔派のことについて、語り合える友がほしいなぁ‥というのが、このサイトを始めた動機です。その時々の気付きや感銘を共有していければと想います‥[コメントにすぐに応答できないかもしれません。]