頑張ってもひとりぼっちに‥

やっぱりひとりぼっち 

生きてる価値がない人もいるんですね。

頑張ってもひとりぼっちでした。なれてるけど😆


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陶器師がね、粘土でカップをつくるでしょ。そのカップの価値は水を入れて飲めることですよね。 お皿を作ったら、料理などを盛れることですよね。 その物の価値は、それを作った人が決めてます。


あなたの価値は、あなたを造った存在が決めてます。 その存在は今日もあなたを目覚めさせ、いまもあなたの心臓の鼓動を打って、息をさせて生きさせているんですよね。そう、頑張ってもひとりぼっち‥にはなれませんでした😆 


一人ぼっちで生きてる人なんていないでしょ。 今日ごはん食べましたか?お米一粒に八十八人の人が関わってるんでしたよね。 身体にとってはごはんが、霊にとっては霊のごはんがあって、それが今日もあるから私たちは今日も生きれています。 霊のお米にも、いうなれば八十八人の天使が関わっています。一人ぼっちで生きるなんてないんですよ、どんなに頑張っても。 


かなしいかな、現代人は目に見えるものしか存在していると認識できなくなってしまっています。 空気も、電気も、電磁波も、熱も、目に見えないというのにね。それら目に見えない物質界のものが指し示すところの命も、愛も、霊の世界も、内的で永続するものは皆目に見えません。 死んだ身体に存在しなくて、生きている体に存在しているもの、それが命です。見えないけど、だれでもそれが存在していることを認識するでしょう。霊の友もそれと同じく、いつも私たちを取り巻いて、私たちに明るい方を見させ、高きに向かわせようと働きかけています。

そうでなかったら、もうとっくにあなたは滅んでいると思いませんか?実は、彼ら、彼女らが支えてくれたから今までこれたのです。 

目を閉じて、静かに息に意識を向けて、頭の奥の真ん中あたりに、謙遜な心で気持ちを向けているとその存在が現れてきます。この待ち望みにあなたの時間と意思をゆだねなさい。  


神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若者がエリシャに、『ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。』と言った。

すると彼は、『恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。』と言った。 そして、エリシャは祈って主に願った。『どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。』

主がその若者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた

Ⅱ列王6:15~17


あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、応えてくださるであろう。

マタイ福音書6:6


神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。

ヨハネ福音書4:24

ヒルティ喫茶:虹息

ヒルティに代表される敬虔派のことについて、語り合える友がほしいなぁ‥というのが、このサイトを始めた動機です。その時々の気付きや感銘を共有していければと想います‥[コメントにすぐに応答できないかもしれません。]