もし、人が最初から、神が善人に何を与えたもうかを知ることができたなら、
先日、《称讃・華美・大がかり・蒐集 と 求道》という投稿を上げたら、ここの投稿はアメブロやフェイスブックにもリンクさせているのですが、アメブロの読者の方から「人は欲を無くしたら、どうやって生きて行けるのでしょう⁉︎」といったコメントが来て、びっくりしました。
コメントへの返信として
「植物が太陽の光の方に向かわなくなったらどうやって生きていけるのでしょう。
欲が無くなったら人間とは言えません。
欲にもいろいろありますよ。
岩清水八幡宮の本殿は、極楽寺と高良神社を拝んでから更に先にあります。」
と柔らかく返したのですが、社会の大勢を占める人たちと自分との観念に大きな隔たりがあることを、改めて知らされたのでした。
この世のほとんどの人たちは、「欲」と言ったら「世間愛」と「自己愛」のことで、それ以外の種類の「欲」ってピンと来ないものなのかもしれませんね。
このことに関してまた、最近読んでた『幸福論』と『眠られぬ夜のために』に出てきていました。
有名な(*私はヒルティのこの文章以外で見かけたことはありません…(^^ゞ)カトリックの聖女ゼノアのカテリナ・フィエキス・アデルノは、これについて言っている、
「もし、人が最初から、神が善人に何を与えたもうかを知ることができたなら、その人は、この天的な事柄だけを非常に熱心に聞こうとするでしょう。けれども、神は、人が利己心から善に導かれるのを喜び給わず、信仰によって恩寵に達することを望み給うのです。」
それゆえ、人は、その生涯のうち、早かれ遅かれ、目に見える現実の財宝を捨てて、“やがてはより良いーもっとも今はまだよく理解できないー財宝を得るであろうというひたすらな信仰”に生きるようにならなければならぬ。
これが、ストア哲学とキリスト教(←*個人的には「聖書の教え」と書き換えたほうが誤解が少ないと思いますが)とに共通の回避することのできない狭い道であるが、しかし、大多数の人の目には、これは全くばかげたものに見えるのである。
『幸福論 第一部』エピクテトス1節のヒルティの注釈
狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。(マタイ福音書7:13,14)
ともありますし、「大多数の人の目には全くばかげたものに見える」と私も思っている部分もありましたので、メルマガのコメントで驚いた一方で、フェイスブックの方で「いいね!」してくれる人がいたことも意外(うれしい意外)でした。
リーズ・ハウェルズの話を思い出しました。
リーズ・ハウェルズが、若いころ、炭鉱夫をしながら、その重労働から帰ってきて夕食をとる早々、また近隣の炭鉱に伝道のために出かけていくのを毎日見ていた父親が
「わしだったら、100万ドル出されたって、お前と同じようなことはしないぞ」
というと、リーズ・ハウェルズがそれに答えて、
「わたしだって、100万ドルくらいだったら、このように毎晩出かけていきません」
と言ったのでした。
(いのちのことば社さん、何年来リクエストしてますが、『神の人 リーズ・ハウェルズ』復刊してください!!!)
私は、趣味もなく、酒もたばこもパチンコもゲームもしない、好きなタレントもいない、映画もテレビも野球も見ない、サッカーもオリンピックも関心がない、女性とも家内以外とは話さない、そんな生活で、何が面白くて生きてるのと思われるふしもありますが、本人はいたって充足して(潔められていないこと以外は)、一日一日打ち込んで過ごしています。
人恋しく飲んで騒いでいたころや野球の勝敗を毎日気にしていたころ、好きな女優や歌手がいて、漫画が大好きで購読して読んでいたころ、好色に堕していたころ、そのころと比べて、いまは雲泥の差で‘楽しん’で過ごしています。そして、ここで、最近読んだもう一つ、『眠られぬ夜のために』の文章に登場いただくのですが、ヒルティ曰く
人間の生活において、とりわけ注目すべきことは──享楽欲が常にその結果として、苦しみを招き、自制心は、それに従って行う前に、つねに最高かつ最善の楽しさをもたらすことを、我々はすでに早くから経験によって、‘確実に知っている’という点である。
『眠られぬ夜のために 第1部』8月9日
ここでも、「楽しさ」と表現されていますね (*'▽')。‥でも、ヒルティじいちゃん、このことって、我々みなが人生早期に経験によって確実に知っている事実なんですか?
念祷の祈りのときに、私の存在を満たす潔くうるわしいものを体験したなら、どんな人だって、毎日、この念祷に身を浸すと思います。毎日朝晩、1時間ずつ祈っているというと大変そうに思われたり、あるいは感心してくださったりする方がいらっしゃいますが、それは、毎日ゲームを2時間やってますという以上に、自分からやりたくてそうやっているのです。
静けき祈りの 讃美歌310番
https://youtu.be/i6UwLTVRGJ8
わずらわしき世を 讃美歌319番
MIDI:http://sanbika.net/I_love_to_steal_awhile_away.html
(↑動画での全曲のアップなし‥(/_;) 現代教会の霊性を表しているのでしょうか…)
の作詞者たちは同じ至福の体験者であることがわかります。
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