人間は裏切るけれど、イエス様は裏切らない。

先日投稿した文章にyurika4328さんからコメントいただきました。それと私の返事です。 



人はなぜ生まれどう生きていけばよいのか、

死んだらどうなるのか、 

この苦しみ辛さ虚しさはどうしたらなくなるのか、 

本当の愛って何? 

幸せって何? 

真理って何?  


と物凄く大きな問いが私を圧倒して、押し潰されそうで、ただそれだけしか考えきれずに、何もできず寝て起きるだけだった日々がありました。私にとってはこれらの答えを知りたいと強く願うことは幼い頃からずっとあったので、当たり前の疑問でありましたが、家族や友人知人を見ていて思うのは(私には押しはかり得ぬそれぞれの内的部分もあると思うので一概には言えませんが)そこまで人生というものに強く問いかけながら生きている人は稀である、ということです。 

今までの生きづらさは、この「酔生夢死」な人々との精神的ギャップ、資本主義経済ベースの「物質的により豊かに生きることが幸福」という価値観、様々な誘惑・試練のためだったのかなと思います。 


>yurika4328さん 

悩むことは一つのギフトです。でも、みんながみんなお悩みストになってしまうときっと社会がスムースに回っていきません(万一、私のような人間ばかりだと、きっと社会運動や慈善活動や事業する人、企業する人、研究する人、教育する人、そんな尊い人たちが消えてしまいます)。 なので、この世では、プラトンの言うように「哲学者」「政治家」「戦士」「農耕者」と役割が分担されて人類は生まれてくるのかもしれません。  


イエス様は求める人は与えられる、と言って下さっていますので、こんな私でもなんとなくこの最初の疑問の答えがほんの少し見えてきたような気がしていますが、難しいことは何一つわかりません。正直先生のブログも難解です。 


>yurika4328さん 

アメブロが、Ameba Owandという別のブログ・HPのサイトを開設してくれて、ここのブログ《ヒルティ喫茶》では、読者のことをあまり気にせずに、好き気ままに書いています。その投稿をアメブロの《虹ぷしゅ》やFBにも連携させているので、最近、勝手気ままな、説明の少ない不親切な文章が出没しているのです。 


本質的に、理性的に理解したというより、感覚的でまるで盲目の羊が導かれているような感じでしょうか、「とにかくイエス様について行けば間違いない!」という確信を持てるようになってからすーっと生きるのが楽になったような気がします。

 人間は裏切るけれど、イエス様は裏切らない。 

ヒルティ喫茶:虹息

ヒルティに代表される敬虔派のことについて、語り合える友がほしいなぁ‥というのが、このサイトを始めた動機です。その時々の気付きや感銘を共有していければと想います‥[コメントにすぐに応答できないかもしれません。]