それは自分の心を元に思い描く「神」です。。。

読者の方からいただいたコメント

「神様がいるとしたら…今のこのおぞましい世の中に怒りを感じておられ、その内、世界は神様によって何らかの戒めを下されるのではないのかと…感じたりします。」


*<(●´з`)ノ*・゚゚・*:.。..。.~そのコメントへのレスポンス~*。。。。〆(∀`*)。。



それは私たちが自分のこころをもとに思い描く神です。


「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。・・主の御告げ。・・天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」

イザヤ書55章8~9節


ヘビースモーカーの人が肺を病むのは神がよくもたばこをこんなに吸いやがったな、お前なぞ肺がんにしてくれるは!といって神がその人を罰しているわけではありません。私はタバコをたくさん吸ってあなたの肺が生かされるようには造りませんでした、あなたの肺を生かす生き方があります、といつも人を通し、書物を通し、自然を通し、痛みを通して諭し続けています。そして、その人の内にあっても、免疫として、がん細胞ができるたびに、毎日毎日せっせとそのがん細胞を除き、健康な細胞を増やそうと作用し続けています。その幾重もの導きと守りを拒絶し続けるとき、その不幸はその人自らが発生させるのです。その人の自由意思で。自由意思のないところに人格と人格の交流は成り立ちません。親は子供がどんなに不幸になるとわかっていても、子供を諭し、子供の見えないところで守り助け続けますが、子供を縛り付けてまで、子供の自由意思を奪い去ってまで、その子の行く道をよい方向に変えることはできないのです。

そして、‘ほんとうの’親はどんなに子供が崩れても、怒って罰を下すということはありません。悲しみ、その病んだ心から引き起こされたすべての悲惨を受け止め、自らがそれを引き受けて修復しよみがえらせていかれます。何万年かかろうとも。


エゼキエル書 18章23節

わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。──神である主の御告げ──彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。


エゼキエル書 33章11節

彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。──神である主の御告げ──わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』


これから十字架刑に処せられることを承知で、最後のみやこ詣でで、いよいよ、エルサレムの都が見えたときのイエスさまの言葉です。


マタイ23:37~39

「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。

見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」


ルカでは次のように記されています。


ルカ19:41~42

「いよいよエルサレムが近くなって、はじめて都が見えると、イエスは都を思い、声をあげて泣きだされた。そして言われた、「ああエルサレム、あなたがもし「平安を見る」という己が名如く、平安への道が見えたなら!しかし今それはあなたの目に隠されている。‥」」



自分に弑(しい)した息子アブシャロムが死んだと聞かされたときのダビデの嘆きは、新約でのイエスさまのエルサレムを思っての嘆きの予兆となています。


第二サムエル記18:33

「わが子アブシャロム。わが子よ。 わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。 アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」


次のようなエピソードも記されています。


ルカ9:51~56

「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町にはいり、イエスのために準備した。しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。

弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」

しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。そして一行は別の村に行った。」


ホセア書

わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない


長老や祭司長らは言った「神殿を壊して3日で建てるものよ、お前が神の子ならそこから降りてこい、そうしたら信じてやろう!」「何が神の子か、お前の父に頼れ、父がお前を救ってくれるんだろう!」

共に十字架につけられた強盗どももイエスをののしり続けた。

イエスは言った「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」


この神の道に生き切った一人の義人が、今わの際、極限の苦しみの中から、自分の全存在をかけて絞り出した切なり祈りは、どうして応えられないわけがありましょう。

ヒルティ喫茶:虹息

ヒルティに代表される敬虔派のことについて、語り合える友がほしいなぁ‥というのが、このサイトを始めた動機です。その時々の気付きや感銘を共有していければと想います‥[コメントにすぐに応答できないかもしれません。]