あなたの名はなにか

主「あなたの名は何か」(マルコ5)

僕「‥‥」


祈りは、この「‥‥」のよう。


「私の名によって祈りなさい」とイエスさまは仰られた。「あなたたちは今まで私の名によって祈ったことはなかった」とも。


これが、祈りの最後に、ただちょこんと「主イエス様の御名によってお祈りします」という文句をつけるだけといった形体的なことを、イエスさまが命じられたのではないことは、誰の目にも自明のことでしょう(その言葉を聞いた使徒の手紙にも、祈りは幾多あれど、その文言は付せられていまい)。


ソロモンが神殿を完成させたとき、神殿の中心には神の御名が置かれてあったとあります。そして、実際に神殿の中心に置かれていたものは、神の箱で、その中には十戒が書かれた板があったのです。神の御名とは十戒のこと、そして、それは「神を愛し、隣人をあなた自身のように愛せよ」とまとめられる神の御性質のことです。名とはその人の性質であり、そのものの本質のことです。


あなたの名はなにか?

私の名はイエス・キリストの名でなくてはならない。

今日の私の名はどうであったか、今の私は、誰の名と同化しようとしているのか?

私自身の自我か、自己愛か、世か、肉か、レギオンか、それとも主イエスか?


イエスは問われた、

あなたの名はなにか?

ヒルティ喫茶:虹息

ヒルティに代表される敬虔派のことについて、語り合える友がほしいなぁ‥というのが、このサイトを始めた動機です。その時々の気付きや感銘を共有していければと想います‥[コメントにすぐに応答できないかもしれません。]