超高層ビルの最上階のカフェで、濃いコーヒーを飲みながら‥

8月13日の『眠られぬ夜のために〈第1部〉』からです。ここも聖書の引用が多い回だったので、聖書の引用を載せながらたどっていくと、とても恵まれます。


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8月13日


彼らを恐れてはならない。さもないと、私は彼らの前であなたをあわてさせる。

エレミヤ書1:17


私がこの言葉を理解するようになったのは、まずそのような体験をしたときからであった。もしわれわれが一般的に、まだ人の判断を恐れたり、人の賞賛を得ようとあせる精神的傾向を持つならば、神はわれわれをして特別な体験により不快な思いを味わうように仕向け給う。しかし、もはやわれわれが人の思惑をあまり問題にしないで、何をなし、何をなすべきでないかを、つねにもっぱら神に尋ねる習慣を養うならば、あのヤコブの生涯に幾度も重大な決定を与えたような出来事を、われわれも経験するであろう。


ヤコブはベエル・シェバを立って、カランへと旅立った。ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「…見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

創世記28:15


しかし神は夜、夢にアラム人ラバンに現われて言われた。「あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ。」

創世記31:24


ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。‥ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください。」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか。」と言って、その場で彼を祝福した。

創世記32:29


エサウ*は彼(ヤコブ)を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。

創世記33:4


*エサウとヤコブ
エサウはその弟ヤコブの悪だくみにはまり、長子の特権ばかりか、父イサクから受けるはずであった一子相伝の主の祝福まで横取りされ、怨み心頭に至り、父が亡くなった暁にはヤコブを無き者にしようと胸に決めます。エサウの復讐の決意を知った母レベカは遠く離れた兄ラバンの元にヤコブを去らせます。20年の時を経て、多くの富、家畜、人々を獲たヤコブが、兄エサウのいる故郷に戻って来て、殺されるかもしれないと恐れおののきながら兄エサウとの再会を果たした場面が上の一文です。



したがって、もし人間がわれわれにあまり大きな影響を与えたり、われわれをして神に叛かせたりするならば、通常、神はただちにわれわれからその人をひき離したり、彼らとわれわれとの間に反感を起させたりする。なぜなら神は、まことに「ねたむ」神*であって、なにものとも較べることを許さないからである。  


主は、彼らの先祖たちに誓ったように、周囲の者から守って、彼らに安住を許された。すべての敵の中で、ひとりも彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。主はすべての敵を彼らの手に渡された。 主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。

ヨシュア記21:44、45


*訳者注:ヨシュア記24:19をも参照
すると、ヨシュアは民に言った。「あなたがたは主に仕えることはできないであろう。主は聖なる神であり、ねたむ神である。あなたがたのそむきも、罪も赦さないからである。


イスラエル人が主に叫び求めたとき、主はイスラエル人のために、彼らを救うひとりの救助者、カレブの弟ケナズの子オテニエルを起こされた。

士師記3:9


そこで主はギデオンに仰せられた。「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。」

士師記7:7


神は、アビメレク*とシェケムの者たちの間に悪霊を送ったので、シェケムの者たちはアビメレクを裏切った。

士師記9:23

*アビメレクとシェケムの者たち
アビメレクはかの英雄ギデオンの息子の一人。ギデオンには全部で70人の子供がいた。アビメレクの母はシェケム出身の女奴隷であった。父ギデオンが亡くなった時、彼は母の故郷シェケムの人々にこう問いかけた。「エルバアル(ギデオン)の息子七十人がみなで、あなたがたを治めるのと、ただひとりがあなたがたを治めるのと、あなたがたにとって、どちらがよいか。私があなたがたの骨肉であることを思い起こしてください。」(士師記9:2)そして人々の思いが自分に傾いてきたことを知ったアビメレクは、難を逃れたギデオンの末の息子ヨタムを除いた他の兄弟全員を殺してしまう。アビメレクは王となり3年間イスラエルの民を治める。ここで次の一文が出てくる、「神は、アビメレクとシェケムの者たちの間に悪霊を送ったので、シェケムの者たちはアビメレクを裏切った」(同23節)。シェケムの人々が彼の命を付け狙うようになり、アビメレクはシェケムの人々を殺した。非道の限りを尽くしたアビメレクも、高いやぐらの上から一人の女性が落とした臼で頭を割られて非業の最期を遂げる。「こうして神は、アビメレクが彼の兄弟七十人を殺して、その父に行なった悪を、彼に報いられた」(同56節)。また「神はシェケムの人々のすべての悪を彼らの頭上に報いられた。」(同57節)



 詩篇103


わがたましいよ、主をほめたたえよ。

私のうちにあるすべてのものよ、聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ、主をほめたたえよ。

主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 

主は、あなたのすべての咎を赦し、

あなたのすべての病をいやし、

あなたのいのちを穴から贖い、

あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

あなたの一生を良いもので満たされる。

あなたの若さは、わしのように、新しくなる。


主はすべてしいたげられている人々のために、正義とさばきを行なわれる。

主は、ご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。

主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。 

主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。

私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、

私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。 

天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を畏れる者の上に大きい。

東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。

父がその子をあわれむように、主は、ご自分を畏れる者をあわれまれる。 


主は、私たちの成り立ちを知り、

私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。 

人の日は、草のよう。野の花のように咲く。

風がそこを過ぎると、それはもはやない。その場所すら、それを、知らない。

しかし、

主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、

主を恐れる者の上にある。

主の義はその子らの子に及び、

主の契約を守る者、その戒めを心に留めて行なう者に及ぶ。

主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。


主をほめたたえよ、御使いたちよ。

みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たちよ。

主をほめたたえよ、主のすべての軍勢よ、みこころを行ない主に仕える者たちよ。

主をほめたたえよ、すべて造られたものたちよ、

主の治められるすべての所で。


わがたましいよ、主をほめたたえよ。 


同胞教会讃美歌1111番、1116番。  


こういうすべてのことを、私は不思議なほどしばしば目のあたりに見たのである。 


ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫


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今年の2月にも【虹ぷしゅ】でご紹介した証ですが、

上のヒルティの文章でまた思い出されました。いい証ですので──



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 「突き抜けよ!」


 スイスの法律家で哲学者のカール・ヒルティの言葉です。 

さまざまな問題の中で、身動きが取れなくなってしまったことがありました。 一度そういう気分になると、なかなか脱出することができません。 誤解が誤解を生んで激しい個人攻撃を受けるようになりました。 ホテルに泊まり込んで祈り、解決策を検討しましたが失意のうちにチェックアウトしました。 

その時です。 

 「問題の泥沼に陥った時は、意を決して突き抜けよ!」 

 という言葉を思い出したのです。 

 そこで、超高層ビルの最上階のカフェで、濃いコーヒーを飲みながら外を眺めました。 そして素晴らしい大自然を造られた創造主の偉大さに、子どものように感動したのです。 すると 

 「天地万物を造られた全知全能の神に、解決できない問題など一つもない! 

父なる神が必ず解決してくださる」 

 という確信と平安につつまれたのでです。 

 その時から、情勢が逆転し始めました。私を攻撃していた人たちのやることなすことが、裏目に出るのです。 「私はこの問題を突き抜けた!」 と確信しました。その後、私はいっさい自己弁護も手も出しませんでしたが、誤解がとけ、関係者一同が誤ってきたのでした。 

 「神が私たちの味方であるなら、 だれが私たちに敵対できるでしょう。」  

ローマ人への手紙8:31) 

 

~幸いな人10月号「一期一会」~より 


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ヒルティ喫茶:虹息

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