償うことさえできずに 今日も痛みを抱き
8月26日
「わたしの若き時の罪と、とがとを思い出さないでください。
主よ、あなたの恵みのゆえに、あなたのいつくしみにしたがって、わたしを思い出してください。」
詩篇25:7
キリスト教が、その心にまだしっかり根をおろしていないすべての人びとにありがちな、この世の不安は、はなはだ無益な思い出から来ることが多い。そういう思い出は、しばしば、さながら「武装した兵士」のように彼らに襲いかかるものである。
とりわけ、眠られぬ夜の暗やみの中では、まだ忘れ去らぬ過去の古い亡霊があらわれる。われわれが忘れないと同様に、われわれに何か不正を加えられた他人も、やはり忘れていない。彼らもそのことを、しかもおそらく同じ時刻に、別の世界においてでさえ、思い出しているだろう! われわれはむろんそんなことを知りはしないが、このような感応作用はありうるものと思われる。
もの忘れの薬は、まだどんな薬剤師も秘薬商も発明していない。しかし、その代用品であるアルコール飲料が、この世でこんなにもうち勝ちがたい力を持っているのは、時としてその力をかりて麻痺させねばならないほどの思い出が、人びとの心にあるからだ。
思い出に対する唯一の効き目のある薬は、実は、思い出そのものの力である、すなわち、神の力と慈愛を思い出すことである。神の力と慈愛は、過去のなかに雑然と埋もれている、あらゆる種類の、無数のつらい思い出を恵みぶかくも、断ち切ってやろうと計り、また実際にそれをなしとげてきた。
このことを考えても、もし思い出があなたを襲いそうなときには、すぐ明かりをつけなさい。というのは、思い出はがんらい無益なものであるが、ただしそれは、あなたが神やキリストに無関心になったときに、あなたをふたたびもっと固く神に結びつけるためには役立つものである。おそらくこの理由から、思い出は、神の国の秩序においても存在しつづけるであろう。過去の影のなかからふたたび突然浮かびあがってくる過ぎし日の思い出が、ときには門番の番犬の役目をはたすこともある。しかし、この犬は鎖につながれている。そのことを忘れてはならない。
ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第二部 岩波文庫
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第2連でヒルティが言っている離れた2人の人が同じ出来事を同時に回想しているというのは、大嶋信頼先生のいうミラーニューロンの話(母子の脳波が同調する実験の方がより大嶋先生の伝えたい事実に適しているといつも思ってしまうけど…)と同じことですよね。
過ぎたことで、どうしようもなく取り返しようのないことってあります。どうしようもない。─ 過去の事々(複数です)、それを思い出すときは、1歳に満たないときに腸重積になり死線をさまよったという、あの時、そのまま亡くなっていたならよかったのかもしれないと‥それは確かに、さながら「武装した兵士」のように襲いかかってきて‥こんな起こってしまった事実は、神はどう落とし前をつけてくれるのでしょう‥考えるほどに、どうしようもないことなので、いつも考えないことで、また意識から薄れていくのを待つ‥そんなことってあります。神に放り投げて、頭を白紙にしておく、それでもやってくる毎日の生業にまたもどっていって…幸いと言っていいのか、ダメなのか、私たちの内界はどんなに衝撃も強烈な思いも、いつまでも同じ強さでは残らない、いな、すっかりなかったかのように、嘘のようになかったかのように、霧散していく、。そして、また不思議なことに、ヒルティの言葉のように、どういう周期でか、どうい風の吹き回しでか、それがまた、つよく心に迫って、日常生活を押しとどめてしまうほどに舞い戻ってくるということもあって、。その度には、神の前に投げ出すのだけれど、ちょうどいいようにばかりに意識から消えるはずもなく、やはり、そこはどこに持っていきようもない、どんなふうに?心持ちを整えようもないまま、ただ、そう、ただ、祈る(待つ かな)。たしかに、「それは、わたしが神やキリストに無関心になったときに、わたしをふたたびもっと固く神に結びつけるためには役立」っているけれども、この3軸の時空に居る間は、それだけ 分かっている、今は。それにしても、その代償はあまりに重い、。そんなことってあります、この世の生を歩む人によっては。
Nobody Knows De Trouble
I've Seen Sometimes I'm Up Sometimes I'm Down
Oh Yes Lord
ダンは、道のかたわらの蛇、小道のほとりのまむしとなって、馬のかかとをかむ。
それゆえ、乗る者はうしろに落ちる。主よ。私はあなたの救いを待ち望む。
創世記49:17~18
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