洗礼を受けてなくても天国に行けます。

私は日曜日にはインターネットで配信される礼拝に参加しています。今日、献児式というのがあって小さな子供が 牧師先生に祝福をいただいていました。私は献児式を知りませんでした。ネットで調べていたら 献児式の説明と一緒に 「洗礼を受けていないと クリスチャンと言えない」 ということが書いてあって ちょっとショックを受けて、いつものネットの礼拝が うわの空になってしまい 牧師先生の言葉が 耳に入ってきませんでした‥

そして私は聖書の学びを始め、毎日読みました。でもそれ以外にも必要な条件があって 「教会に通うこと」「収入の1/10の献金」 というものもあって、いくら聖書を読んでもお祈りをしても、この2つは私には無理なので 「ああ私はクリスチャンじゃないんだ。 なのになんで礼拝をしているんだろう」と思い、なんだかガッカリして、聖書を読んでも自分の中に入らない、礼拝も聞いてても内容が入ってこなくなり、なんだか困ってしまいました。 私はどうするべきでしょうか?私はクリスチャンではなく、ただイエスさまにすがるただそれだけの存在になってしまうのでしょうか? (ノДT)


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洗礼なんて関係ありませんよ。 イエスさまってすがってる人はみなクリスチャンです。 


「あなたがたはよくも人の言い伝えによって、神の戒めをないがしろにしたものだ」 


とイエスさまも当時の教会の牧者たちを糾弾されました。 

心や体の病気で教会に通えない人もいます。 

10分の1は、受給費で生活している人と働いて給料をもらっている人では重さが違います。贅沢しているわけでない人が、食費を削ってまで什一献金しなくていいのです。


 イエスにさわっていただこうとして、人々が子供たちをつれて来ると、弟子たちが咎めた。 イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた、 

「子供たちをわたしの所に来させよ、邪魔をするな。神の国はこんな人たちのものである。

アーメン、わたしは言う、子供のように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない。」 

それから子供たちを抱き、手をのせて祝福された。

 マコ 10:13-16 


牧師や信者が天国に入れるかどうかを決めるわけじゃないよ。 私たちの心が天国なら、死んだあともその世界に住むことになります。天国は「イエスさま」とすがるこころに来ます。

人間が勝手に考えて決めた基準で人をより分ける人たちは、その心の様のとおりに、その世界に行きます。そこが天国かどうか知りませんが、私はその世界に一緒に行きたくないと思います。

 だれも、人の心の善悪を測ることはできないように神のよって定められています。それをしている人は神の言葉をないがしろにする人です。気にしなくていいです。


イエスさまと一緒に十字架にかけられ、回心した強盗は洗礼を受けましたか?でも、その日、彼はイエスさまと共にパラダイスにいました!


 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「おまえはキリストではないか!自分とオレたちを救え!」と言った。ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも畏れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。オレたちは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「アーメン、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

ルカ福音書23:39~43

ヒルティ喫茶:虹息

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