天界で主を愛するということは


11月8日


ジェノヴァのカタリナは、正当にも神にこう尋ねた、

「神への愛は他のすべての愛をしりぞけますが、それdもわたしたちは隣人を愛さなくてはならないのでしょうか」

と。

これに対して彼女はつぎのような返事をうけとった、

「わたしを愛する者は、わたしが愛するすべてのものをも愛する。あなたは、できるだけ隣人の霊と肉の幸福を増そうと心がけねばならない。まことの愛は隣人をその人自身において愛するのでなくて、神において愛する。」  


この方が、隣人にとっても具合がよい。というのは、隣人を彼自身のために愛する愛は、ともするとそれに特有な動揺をともない、いずれにしても神においてその人を愛する愛ほど、不変でも、確かでもないからである。 

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫



この文章を読んだ2日後に開いた『スエデンボルグ メディテーション1』の言葉(同77ページ)に出会いました。

天界で主を愛するということは、主を人物として愛するのではなく〈主から出る善〉を愛することです。善を愛することは、愛から出発して善を欲し、これを実行することです。

また隣人を愛するとは、友をその人物から愛するのではなく、〈みことば〉から来る真理を愛し、真理を欲し、これを実行することです。

したがって、以上、2種類の愛は、善と真理の相違から来ていると同時に、善と真理との結合も表しています。ただし、愛とは、善とは、また隣人とはなんであるか知らない人にはわかりにくいことです。

ヒルティ喫茶:虹息

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