この街を綿菓子に 染め抜いた雪が 消えれば お前が ここから出て 初めての春
こんばんは。 こちらの冬は風が強くて思いのほか寒いです。
教わったことを心がけて日々取り組んでいますが、やはり優しくできません。
特に気ぜわしいときは、心の中で罵詈雑言を吐き捨てながらしています。
季節と同じく心も荒んでいきます。
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御言葉のとおり自然とできるようになったら天使ですからね。
そうなったときは、この世から取り去られます。
私たちにするようにと求められていることは、
自分の悪魔性を知ること(悪魔以外の何物でもないことを知ること)、
そして、そこから救られるべく祈り待ち望むこと──それは念祷と射祷という手段によって──
の2つです。
そこから先、私たちをどのようなペースで、どのような程度にまで変えていかれるのかは主のなさることです。 とやかく云えません。
「その日その時は誰も知らない。天の天使たちも、子も知らず、ただ父だけがご存じです。」 マタイによる福音書24章29
「『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
風は思いのままに吹く。
あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。
霊から生まれた者も皆そのとおりである。」 ヨハネによる福音書3:7~8
「誰が「あれ」といってあらしめえようか。主が命じられることではないか。
災いも、幸いも いと高き神の命令によるものではないか。
生身の人間が、ひとりひとり 自分の過ちについてとやかく言うことはない。」 エレミヤ哀歌3:37~39
もう一つ、大切な真理をお伝えしておきます。
私たちの内に沸き起こるいら立ち・憎しみ・嫌悪・欲念・傲慢と言った悪い思いは私たちのものではありません。 吹き込まれたものです。それは善い思いもしかり。
善いものも悪いものも私たちの内からは出てこないのです。 私たちはそれら双方を吹き込まれる器です。 だから、己がうちに罵詈雑言、呪い、妬み、憎しみ、穢し事などを見ても、たじろいではいけません。 それはあたかも自分自身の思いのようにしか感じられませんが、 実相は地獄からの吹込みです(もちろん、私たちがそれに相応した受容器になっているからそれを受けるのですが)。
ここで肝要なことは、
「これは自分自身ではない!」
と決然と見極めることです。 すると、それは猛威をふるえません。
そして、それが除かれるよう、ひたすら祈り待ち望みます。 すると、その大風大波は去り、一転、清明な凪のうるわしさがあふれてきます。 そこまで、祈り待ち望むのです。
立ち返って静かにすればあなたがたは救われ、
落ち着いて信頼していればあなたがたは力を得る。
イザヤ書30:15
イエスさまは仰いました、
あなたがたが救われるために必要なものは 忍耐 です。
と。
寒さにふるえた者ほど陽光の暖かさを感じる。
人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。
ホイットマン
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