4分の1は、母の胎にあるうちに天にとられるようになっている
「心療というは意表をつくこと(言い換えると、笑わせること)と見つけたり」 です。
笑うと宇宙とつながります。笑いは最強です!
面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり
「我々の一切の悪は、一人でいることができないところから生じる。」 ジャン・ド・ラ・ブリュイエール
言葉って大切ですよね。
起こった事実は一つでも、そのときどき、かかわった人たちがどんな言葉でそこに寄り添ってくれたかで、 その後、その事実が想起されるときの様相がまったくことなってしまうものなのでしょう。
言霊(ことたま)とはよく言ったもので、そのときそのとき、私たちが発する言葉は言霊を宿し、祈りにもなり、呪いにもなり、祝詞(のりと)にもなるのですね。
「5本指いい子、いい子」を飽かずに繰り返されてください。
精神科医療のマリック?セロ?、神田橋先生が、「EMDRの100倍効く!!!」と豪語されていましたので。
この世の光を見ることなく、天国に帰ったお子さんとは、時間が取れたときに、いつか会わせてさしあげます。
スエデンボルグによると、妊娠してもその4分の1は流産や死産によって天に直接入って天使になるように、神の摂理でされているとのことでした。 天界の天使が少ないからです。
「エノクは神と共に歩んだ。神が彼を取られたので彼はいなくなった。」創世記5:24
私たちの都合で生まれることができなかったように見える子についてもすべて主の摂理によって定められたことです。
「御父のゆるしなしに、空の鳥一話でさえも、髪の毛一筋さえも地に落ちることはない」
のです。
その子たちは最初から天使になるべく、この世での活動をすることなく、直接天使になって天国で育ちます。地上の私たちを助けるために。
以下は、メインブログの記事"健康の選択"に綴った、由井寅子さんの文章です。 仏教向きの方はこちらを↓
「仏陀は「この子が3ヶ月で生きて死ぬと決めたものを、親のお前がなぜなく必要がある」と言います。
その子が決めているんです、自分の人生を。
親だからといって、あなた方がすべての責任を担ぐ必要はない。
インドというところは"死ぬことも生命の始まりなり"という哲学が通るところだ。
ガンジス川に死体を返して、もう一度生まれかわるということがインドでは通じるんですよ。
日本も仏教国だから通じているはずなんですよ。
ところが流産した人たちから、
「あなた方がレメディーの選択を間違えたくせに」
「レメディーでは私の子どもの流産を止められなかったくせに」
とか言われるときもあるんですよ。
だから最初に私は、
「このレメディーはあなたの出血を止めるレメディーでもあり、流すレメディーだ。
この胎児は奇形ならば流れるわけだ。
これは本当にレメディーと胎児が相談して決めているからね」
と言うの。 それが自然の摂理なんですよ。
それを言うとすごい怖がって一足飛びに逃げる人間もいる。これは第三の目が開いていないからだ。
どうして死ぬことに対して泣いてわめくか。
誕生することに対しては手を叩いて喜ぶんだけど。
がんで点滴を打ちながら、カテーテルを入れながら、
チューブをいっぱい付けて苦悶しながら生きなきゃいけない。
死なない限り、何をしても許される、
そういう学問はちょっと間違っているんじゃないか、ということだ。
畳の上で死のうと思ったら、今はえらいことになる。
どこでもぽっくり死ぬもんだよ、人は。
しょうがないじゃないか、そしてまた、肉体という新しい上着、乗り物を貰って生まれてくるんだろ。
ぼろぼろになった体は、もう治せない場合は死んだ方がいい場合もある。
これは自然の摂理だから止められない。
それで人口誘発剤とかそういうもので子どもを産んで、それでいいのということ。
人の生死というのは、あなたの範疇から飛び出たところにあるんだ。」
私たちを傷つけるのも言葉ですが、癒すのもまた言葉です。
そして、言霊の光が輝きでると、闇は消えてしまうのです。
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