その人にとって、もはや敵というものは存在しない
7月22日
神に導かれている人 眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫)
神に導かれている人びとによくあることだが、これまで彼らに課せられていた多くの任務や仕事が、その人びとにふさわしくない、あるいはもはやふさわしくなくなった場合に、適当な時にそれが彼らから取り去られるのを見るのは、じつに不思議である。神はこのために、しばしば敵を利用することもある。そうすると、その敵は、神みずからがなすにはあまりふさわしくないこのよい仕事(任務をやめさせる)を、実に見事にやってのけ、また、そうでなければ、ひじょうに困難な決心をもしやすくしてやることが多い。
このようなことを、私自身もたびたび経験してきた。つまり、神と完全に正しい関係にある人にとっては、結局、敵というものはもはや存在しないのである。すべてのものが神のしもべにすぎず、しばしば、敵みずからが、不正な行いをしている場合にも、実は神のみこころを遂行しているかも知れないという、おぼろげな感じを持つことさえあるのだ(ちょうどカヤパ*1のように)。
創世記50:20*2。
*1:エルサレムの大司祭。イエスを審問したのち、彼を死にあたるものとして総督ピラトに渡した。しかしカヤパはイエスの死が贖罪の死であることを予感していた。(ヨハネによる福音書18:14など参照)
*2:「ヨセフは彼らに言った、『……あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。』。」
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