ユダヤ人が忌避する聖書の一章

楽園から追放されたエバがカインを生んだ時に言った言葉──


私はこの子によって主を得た  創世記4:1

*カイン=獲得する


ユダヤ人のシナゴーグで聖書(旧約聖書)が順々に朗読されますが、イザヤ書の53章は飛ばされるそうです。それを読むと、だれしもが、ある人物を連想してしまうから‥

イエス・キリストに帰依したユダヤ人のサイト


ユダヤ人たちは、祭りのとき、「あの方はどこにおられるのか。」と言って、イエスを捜していた。  そして群衆の間には、イエスについて、いろいろとひそひそ話がされていた。「良い人だ。」と言う者もあり、「違う。群衆を惑わしているのだ。」と言う者もいた。しかし、ユダヤ人たちを恐れたため、イエスについて公然と語る者はひとりもいなかった。

ヨハネ福音書7:11~13


群衆のうちの多くの者がイエスを信じて言った。「キリストが来られても、この方がしているよりも多くのしるしを行なわれるだろうか。」

ヨハネ福音書7:31


そこで、群衆の間にイエスのことで分裂が起こった。その中にはイエスを捕えたいと思った者もいたが、イエスに手をかけた者はなかった。 それから役人たちは祭司長、パリサイ人たちのもとに帰って来た。彼らは役人たちに言った。「なぜあの人を連れて来なかったのか。」役人たちは答えた。「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」 すると、パリサイ人が答えた。「おまえたちも惑わされているのか。議員とかパリサイ人のうちで、だれかイエスを信じた者があったか。 だが、律法を知らないこの群衆は、のろわれている。」彼らのうちのひとりで、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。」

ヨハネ福音書7:43~51


さて、彼らは、イエスに何か言わせて、わなに陥れようとして、パリサイ人とヘロデ党の者数人をイエスのところへ送った。  彼らはイエスのところに来て、言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。

マルコ福音書12:13、14


指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった。彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。

ヨハネ福音書12:42、43


祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。 「彼は他人を救った‥」

マタイの福音書27:41、42



ちなみに、↓のようなサイトもありました。

仏教から、ヨガから、スピリチュアルから、同性愛から、薬物依存から、キリストに回心した記録



イザヤ53章


だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。

主の腕は、だれにあらわれたか。

彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。

彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。

彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。

また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。

われわれも彼を尊ばなかった。


まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。

しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。

彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、

その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。

われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。

主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。


彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。

ほふり場にひかれて行く小羊のように、

また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。

彼は暴虐なさばきによって取り去られた。


その代の人のうち、だれが思ったであろうか、

彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。

彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、

その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。

しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。


彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、

その命をながくすることができる。

かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。

彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。

義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、

また彼らの不義を負う。


それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。

彼は強い者と共に獲物を分かち取る。

これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、

とがある者と共に数えられたからである。

しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。 




この箇所を読んで、心に思い起こされる方は誰ですか? マック

ヒルティ喫茶:虹息

ヒルティに代表される敬虔派のことについて、語り合える友がほしいなぁ‥というのが、このサイトを始めた動機です。その時々の気付きや感銘を共有していければと想います‥[コメントにすぐに応答できないかもしれません。]