彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった

アップルのスティーブ・ジョブズを取材中、インタビューアーのもっていたipodを見た時、ジョブズは少し不機嫌になったそうです。普通、インタビューアーが自分の開発した製品をもっていたら、ご機嫌になるのが普通です。 なぜジョブズは不機嫌になったのか……。

そのインタビューアーはiPodにカバーをしていた。それが原因だった!と。 

iPodの初期のタイプは裏面がステンレスでピカピカでした。その場面で、ジョブズはこう言ったそうです。 

「傷がつくのを嫌がって、カバーをしている人がいるけど、

 傷こそが、キミだけのものになった証じゃないか」

 傷こそ、思い切り生きてる証なんだ。


「傷こそ美しい」  スティーブ・ジョブズ 


 イタリアのマリア・ヴァルトルタという病床に臥せった女性に、第2次大戦中の1943年から8年にわたって、2000年前のイエス様の映像が見せられ、それが筆記されて、『私に啓示された福音』という記録として残っています。日本でも翻訳が出ています。 

その中で、復活の場面も出てくるのですが、そこでとても印象深かったことがあります。

復活したイエスさまのお身体は、生前の普通の人としての様子と異なって光り輝いているのですが、4つの釘の跡とわき腹、茨の冠の痕などの傷つけられた傷口から、ひときわ光り輝く光が放たれているのです。

その場面を少し下に引用しますね。


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神の御命令をうけて、市の肉体は地鳴りをもって応じる。 すぐさま、布に包まれ巻かれた死体は、栄光の肉体と変わり、永遠の美しさによみがえる。死を越えてよみがえった証拠には、まず心臓がめざめ、固まっていた血管に血を送り、胸が力強く打ち始め体温が戻り、あらゆる機能がめざめる。


 ‥ 次に見たのは、前に知っていた傷だらけの肉体ではなく、五つの傷から射す光線である。み体全身からも不思議な光があふれている。さらに最初の一歩を踏み出される場面を見ると、そのみ手、み足の動きにつれて光の刃のようなものが辺りに散る。 茨の冠あとの無数の傷口から発する光は、み顔のまわりをまるい光の輪で包み、胸に置かれた手を広げられると、ちょうど、心臓のあたりが白光を放ち、まさに御体そのものが光である。その光は、私たちが地上で診ているどんな光も及ばないもの、太陽の光さえ光と言えなくするもの、まさに神の光そのものである。 


イエズスのみ身体から発するその神秘の光のために、彼の目の青さはますます底知れぬ青さに深まり、毛髪は炎のような色をおび、み服の白さも、いわば天使的な純白に輝く。 人の言葉や表現のあわれさは、とてもその様子を言い表すことはできない。

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私は、死を考えながら生きていた頃、毎日、心がズタズタになりながら帰ってくるのですが、部屋でそんな心を主の前に差し出して待ち望んでいると、心の大地のズタズタに亀裂が入ったその割れ目から、ドライアイスよりはしっとりとして、スライムよりはさらさらとしたエーテルのようなうるわしい気流がこんこんと湧き出てきて、心の地表を癒していくのを体験するのでした。 

天来の慰めと癒しは必ず、“肉”の傷口から湧いてきました。 


 闇は光に勝たなかった。 


イザヤという預言者が、後に来るメシア、イエス様のことを観せられ書き記しています。


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多くの者があなたを見て驚いたように、――その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。――そのように、彼は多くの国々を驚かす。

王たちは彼の前で口をつぐむ。彼らは、まだ告げられなかったことを見、まだ聞いたこともないことを悟るからだ。


私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。 

彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。

彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。 

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。

だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 


しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。

彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。


しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。


彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。 

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。


もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。


わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。

彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。 

イザヤ書52:14~53:12


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今日も1日分終わりました。 


死を迎えるように眠りにつき、魂を神さまに委ねよう

主よ、わが魂を御手に委ねます 

ヒルティ喫茶:虹息

ヒルティに代表される敬虔派のことについて、語り合える友がほしいなぁ‥というのが、このサイトを始めた動機です。その時々の気付きや感銘を共有していければと想います‥[コメントにすぐに応答できないかもしれません。]